ワイヤーのお話
ワイヤーのお話(ミュージックワイヤー)

ピアノ改良と音楽家の作曲

クリストフォリの仕事はイタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガンづくりの名人であったジルバーマン兄弟とその直弟子たちに受け継がれました。しかし、その後オーストリアとプロイセンの間で起こった7年戦争により、弟子の多くはイギリスに渡ってピアノづくりを始めました。そのため、イギリスは産業革命をはさんで一大ピアノ生産国になります。一方、ドイツではシュタインがジルバーマンの仕事を引き継ぎました。彼はジルバーマンのピアノのメカニズムに新たな改良を加えて、ウィーン式と呼ばれる打弦機構(アクション)を完成させ、長年にわたって評判をとりました。

ベートーベンが所有していたものと同型のピアノ
製造:ブロードウッド(1802頃)
写真提供:浜松市楽器博物館

ベートーベンが所有していたものと同型のピアノ

シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトが1777年の演奏旅行で、シュタインのピアノを弾いて感激し、このピアノの音色にふさわしい曲を数多く書きました。 彼自身はシュタインのピアノはあまりにも高価(年収の2倍)で買えなかったそうです。

この頃の作曲家には、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンといった偉大な作曲家が数多くいます。作曲家にとって音色、音域といった楽器の性能は、作曲の可能性と密接な関係をもっていました。この頃はピアノの音域が過渡期で、作曲家が求める音楽にピアノ製作者も応えようとし、そして製作されたピアノにより作曲家が、また刺激を受けて音楽の世界を広げるという時代でした。その典型的例はベートーベンに見ることができます。彼が用いたピアノの音域が時代とともに広がったため、作る曲の音域もその度ごとに広くなっています。初期の時代では5オクターブですが、後期には6オクターブのピアノの音域いっぱいを使っているそうです。ピアノもこの頃には鍵盤及び弦の数が増えただけでなく、2本の複弦から3本の複弦に、また低音弦には巻線という技術が導入され、ピアノ弦の改良が音量・音域の拡大に一役かっています。

ベートーベンの即興演奏と切れたピアノ弦

ベートーベンは即興演奏が得意で、時には聴衆があまりに素晴らしさに涙するほどだったそうです。また、ウィーンの他のピアニストに「あの若者には悪魔が潜んでいる。あのような演奏は1度も聞いたことがない!」と言わせしめたほどです。オーケストラの指揮もそうでしたが、彼は体全体で演奏しました。フォルテシモは手を高く上げ、レガートでは滑らかな指はこびをするため、体を鍵盤の上に丸くして弾いたそうです。そして、一旦演奏を始めると、我を忘れて鍵盤を叩きました。そのため弦だけでなく、ハンマーも壊れることがあり、即興演奏を始めた最初の和音で、いきなり6本もの弦を切ったことがあったそうです。

ベートーベンのピアノ演奏法にも問題があったのかもしれませんが、18世紀後半のピアノ弦には、前述のような強度の低い真鍮(黄銅)線や鉄線による弦が用いられていましたので、やはり切れやすかったのでしょう。切れた弦は助手が演奏中に外してまわりました。弦が切れても演奏できたということは、複弦の一部が切れたのでしょう。それにしてもベートーベンらしいと思いませんか。

二つの革命とピアノの発達に進む

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